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我が家の北欧家具紹介#5 モダニズムをリ・デザインする「PK22 ポールケアホルム」

我が家の北欧家具紹介も5回目、今回はミニマリストの鬼才「ポール・ケアホルム」がデザインしたラウンジチェア PK22です。前半ではこの椅子がデザインされた背景、後半ではデザインの特徴を紹介します。

PK22誕生の背景

北欧ミッドセンチュリー期を代表する名作椅子「PK22」。その誕生にまつわる背景を2人の巨匠との関わりから掘り下げます。

1929年の出来事

1929年にデンマーク北西部の町オスターヴゥローに生まれたのが、後に北欧家具デザインの巨匠と呼ばれるポールケアホルムです。そして同じ年、スペイン・バルセロナでは万国博覧会が開催されます。

バルセロナ万博では、ケアホルムに大きな影響を与える2人の巨匠が喝采を浴びます。1人は、ドイツ館(バルセロナ・パビリオン)を設計した近代建築の巨匠「ミース・ファン・デル・ローエ」。

もう1人は、デンマーク館のインテリアを設計し、レッドチェアでメダルを受賞したノルディック・モダンの父と呼ばれる「コーア・クリント」です。

近代建築の巨匠 ミース・ファン・デル・ローエ

Barcelona Pavillion
“File:The Barcelona Pavilion, Barcelona, 2010.jpg”作者: Ashley Pomeroy at English Wikipedia is licensed under CC BY 3.0

ミース・ファン・デル・ローエは、ドイツ・バウハウスの3代目校長を務め、「ユニバーサル・スペース」とい理念を提唱、「過去と決別し新しい表現形式」を目指すモダニズム建築を世に広めます。

ユニバーサル・スペースは、新しい建築材を使う事で欧州建築で一般的だった部屋の間仕切りを除き、役割の異なる空間を一体的に設計する理念。(我が家のモデル・グンログソン邸もこの流れを汲んでいます。)

このモダニズム主義は「Form follows Function」というバウハウスのデザイン思想にも現れ、不要なものを徹底的に削ぎ落とすミニマリズムは、彼の「Less is More」という言葉でも表現されています。

北欧家具の父 コーア・クリント

ノルディック・モダンの父と呼ばれ北欧デザインの基礎を確立したコーア・クリント。全盛期だったモダニズムと対照的に「伝統的なデザインを現代の視点で再構築」する「リ・デザイン」を提唱します。

使用する人を設計の基本に据え、過去の伝統的な家具を、実用上で必要な機能という視点からリ・デザイン(=再構築)します。このため、彼のデザインは「人のためのデザイン」と評価されます。

デンマーク王立アカデミー家具科では主任教授として教鞭に立ち、生徒だったモーエンセン(間接的にウェグナー)といった北欧の巨匠、その次世代のケアホルム、さらにはデンマークデザイン全体に大きな影響を与えます。

バルセロナチェアのリ・デザイン

バルセロナチェア
“Barcelona Pavilion”作者: Wojtek Gurak is licensed under CC BY-NC 2.0

1929年のバルセロナ万博で、スペイン国王夫妻のドイツ館臨席のために、ミースがデザインした椅子が「バルセロナチェア」。革貼りの分厚い座面背当による威厳とX字のフレームの優しい座感を兼ね備えます。

27年後の1956年、万博と同じ年に生まれたポールケアホルムが、バルセロナチェアをリデザインし「PK22」として発表。翌1957年には、PK22はミラノトリエンナーレでグランプリを受賞します。

PK22は、バルセロナチェアの「機能」に着目し、それ以外の要素を徹底的に削ぎ落とし、残った本質的な機能を表現するために新素材である「スチール」を用いて「再構築」したものです。

ミースのモダニズムとクリントのリ・デザインでは、過去や伝統への対峙の仕方が大きく異なる一方で、機能を突き詰めその結果としてデザインが構築されるという点は共通しています。

この点においては、「素材の個性を表現する」事にこだわる鬼才が、クリントの思想に基づきリ・デザインしたものは、「バルセロナチェア」という椅子ではなく、そこに流れる「モダニズム」そのものかもしれません。

卒業制作(PK25)のリバイズ

PK25

PK22発表の5年前の1951年、ポールケアホルムは卒業制作としてPK25(エレメントチェア)をデザインします。PK22は、このPK25のデザインを「人を基本に据える」クリントの思想でリバイズした椅子です。

スチールを折り曲げた脚・背当て・座面側面を構成する部品に麻紐を張ったシンプルなラウンジチェア。フレームにつなぎ目が見えないPK25は、椅子というより洗練されたオブジェそのものです。

一方で、座面先端・背当上端には構造を支えるフレームがあり、座った時には背中や膝裏に当たるとの指摘があったそうです。分解しても大きさが変わらず輸送には不向き。この点は他のPK家具と異なります。

そういった点を改善しリバイズした椅子がPK22。ケアホルムの師ウェグナーも、自身の作品をリバイズしYチェアをデザインしています。伝統家具を再構築し、さらにリバイズ・熟成させる点も北欧デザインの特徴です。

PK22のデザイン上の特徴

ポールケアホルムを代表するPK22ですが、デザイン・機能両面でこれ以上削ぎ落とすことのできない、ミニマルな構造が最大の特徴です。

6本のフレームと16本のボルトだけ

この椅子のフレームは、たった6本のステンレスと16本のボルトだけで構成されています。

座面・背当両端のL字型のフレーム、アメンボの足のような脚部フレームが2本、それらを繋ぐ貫が2本のみ。それらは合計16本のボルトで連結されています。

PK22

エレメントチェアでは一体となっていた側面フレームが、座面・背当、脚の2つに分割され、座面・背当てにあった体に当たる横方向のフレームは、座面下で両脚を繋ぐ曲線フレームに集約されています。

スプリングステンレスの弾力性を活かし、椅子で必要とされる構造を最低限のフレームで実現しています。

担架構造による柔軟性の高い座面・背当て

PK22

一般的な椅子は座面内にクッション性のある素材を使いますが、PK22は両端のフレームに柔軟な籐・レザーを固定し、担架のような構造で座る人の体を包み込みます。

椅子として必要とされる機能(クッション性)を、座面・背当ての素材、それを支えるフレーム素材、構造により実現したもので、「素材の良さを表現する」ケアホルムの考えが前面にでた設計です。

柔軟な脚と座面による立ち上がりの良さ

PK22

深く腰掛けくつろぐラウンジチェアなので、座面・背当てには大きな角度がついています。一般的なラウンジチェアでは、この深い着座姿勢から立ち上がりやすいように肘掛けを設置します。

PK22は肘掛けが無いにも関わらず、驚くほど立ち上がりやすいのが特徴。立ち上がろうと重心を移動すると座面前面がたわみ前傾しやすくなり、座面の両先端に手をつくと簡単に立ち上がることができます。

ここでも弾力性のあるステンレス脚と柔軟な籐・レザーといった座面材の「素材の良さ」を感じることができます。寸分の隙もなく考えられた椅子だと思います。

製造メーカー・販売店について

ここからはPK22の製造メーカー、販売店に関する紹介です。PK80とも重複するので、簡単に紹介します。

製造メーカー

ポールケアホルムは1980年に亡くなりますが、その1年後まではE・K・クリステンセン社(EKC社)が製造を行なっています。PK25以降、鬼才のこだわりを形にしてきたパートナーです。

ケアホルムの死後、1982年には生産ライセンスをフリッツハンセン社に譲渡し、現在も一部を除き、ほぼ全てのPK家具はフリッツハンセン社により製造販売されています。

フリッツハンセン社はPK25を高く評価し、卒業後のケアホルムを内部デザイナーとして採用。考え方の相違から退職しますが、最初に彼を評価したメーカーであり、退職の原因となったPK0の限定復刻も行いました。

販売店について

フリッツハンセンの製品を取り扱う販売店でも、PK家具を扱える店舗は限られているようです。我が家は、銀座に店舗を構えるダンスク・ムーベル・ギャラリーで、現行品フリッツハンセン社製を購入。

特にPK22は流通量が多かったようで、EKC社製のビンテージ品も比較的見かけます。座面素材・色が希望通りとはいきませんが、現行品の価格と比較してもビンテージとしては購入しやすい価格帯だと思います。

最後に

PK家具との出会いはフリッツハンセンの表参道ショールームでした。その後、ダンスク・ムーベル・ギャラリーでの購入を決めましたが、当時はここまでの背景知識はありません。

ステンレスフレームと天然素材からなる家具はタイル床との相性が良く感じ、全体の雰囲気を重視して選んだと記憶しています。今から考えると、なかなか浅はかな考えだと思います。

購入を決め興味を持って調べ始めると、産業革命以降、ナチズムの台頭など時代の変化に翻弄されながらも、強い信念を持ってデザインと対峙してきた巨匠のストーリーを垣間見ることができます。

そういった時代の潮流の先に現代があり、さらに現代を基礎として未来のデザインが生まれてくると思います。これからもストーリーのある家具の世界を、より一層探索できればと思います。

最後まで読んで頂き有難うございます。次回は、北欧家具の代名詞「ハンス・J・ウェグナー Yチェア」の紹介です。

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